行ってきました、ネパール。
目指すはヒマラヤの高地を自由に駆け回るかもしかちゃん。
ところが、ところが経験者の予想どおりと言うか、数々のハプニングの嵐。いやあ、本当にネパールを良く知ることができました。
ここでは、日記風に実際のツーリングの珍道中を詳細にレポートしましょう。専門誌などに紹介される予定の今回のツーリングレポートの裏側を楽しんでください。。。まずは、トレッキングへ出発するまで。
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ご協賛各位(敬称略) ヤマハ発動機株式会社
RSタイチ浜松店
有限会社トライアルプロモーション
レアルエキップ
アウトドアスペース風魔新宿店
4月4日(日曜日)
13:00さあ、いよいよ、飛行機の時間が迫ってきた。
F2小湊でのセローのレアルエキップスペシャルマシンのシェイクダウン
テストもまずまず良好で、ほっと一息。
この当社マシン、倒立フロントサスペンションにアルミリヤアームと軽量、高性能で……って、いきなり宣伝モードですみません。今回はそういう話しぢゃないよね。
しかし、一息つくまもなく、成田へ移動だ。
成田への移動へは、以外に時間がかかり、結局小湊から3時間近くかかり、ぎりぎりの時間になってしまった。
さて、格安航空券チケットのカウンターでチェックイン。と思ったら、入り口のセキュリティチェックでいきなりの問題発生。コンロ用のガスと、高地用の酸素は高圧ガスのため持ちこめなかったのだ。
ありゃりゃ、最初からちょっと躓きかな。ま、当地へ行けば何とかなるだろうと考えてよし。
ビデオ撮影を自主的にしてくれることになった、有限会社バンブーの渡辺さんとも無事落ち合えた。彼との付き合いもなかなか長いのだが、かなりの個性の持ち主なのでどんな道中になることやら。
彼の話はまた随所で。
重さのチェックもすんなりパス。
さて、私は小湊で走ってきたままなので、とにかくシャワーを浴びたい。
インフォメーションで、「シャワーありますか?」とたずねると、なんと
「あります」とのお答え。
おおっ。
これは、出発するお客さん専用のサービスだが、皆さんにもお勧め(そんなやついないって…)。
空港税を払って、出国手続きもおわり、日本であって日本でない?空間に出てすぐ。26番ゲートの近くに、シャワールームはあった。
とにかくきれい。さすが日本国。300円で使いたい放題。もちろんタオルや、洗面、ドライヤーまで完備。
あまりまだ知られていないのか、はたまた飛行機乗る直前にシャワー浴びるやつもいないのか、がらがらにあいとります。
しかも、出てくると最後にはホテルのアメニティのように、シャンプー、かみそりから綿棒にいたるまでのセットをプレゼント。
いや、こりゃいたれりつくせりじゃ、などと思っていたらとっくに搭乗時間になっていた。
競歩のような歩き方で搭乗ゲートへ。
飛行機はユナイテッドエア。海外旅行慣れしている?私に言わせればUA(ユーエー)ですね(知ったかぶり)。
飛行機の中では、出発前に慌てて買ってきた、「地球の歩き方」やら、「ヒマラヤトレックガイド」また、「トレッカーのためのネパール学(この本は、旅行後に読みなおすとなかなか良い内容だったなと、お勧めです)」などをむさぼり読んで、情報収集。
…のはずが小湊の疲れと、酒の飲み過ぎで、早々にダウン。あっという間に、本日のトランジット宿泊地、タイはバンコックに到着しました。
ホテルへ直行してバタンキュー。…のはずが、今度ははらが減って眠れず、またもやビール飲んでチャーハン食べちゃった。
なんて緊張感のないやつ。
もちろん皆さんが私に抱いている虚像として作られたイメージのようなことはしていません。と、わざわざ書かないといけない自分が情けない。とほほ。
4月5日(月曜日)
7:00 起床。
渡辺さんは寝ているが、私は朝食を食べに。飯ばっか食ってるな。
飛行機の時間に間に合うように空港へ。バンコクの空港は、日本と同じようなシステムであるが、ちょっと古い感じかな。でも、セキュリティチェックすると、紐をかけられちゃうのはおもしろかった。
さて、何というハプニングもなくカトマンズ行きの飛行機へ。今度はタイ航空である。この飛行機はとってもきれい。なんかスッチーさんの数も多い。
にや。
ところで、河合の知ったかぶりうんちく講座。
日本からネパールへの足は主として飛行機になるが、方法は主にふたつ。ひとつは関西空港からロイヤルネパール航空で直行するパターン。直行と言っても、上海でワンストップ、2〜3時間のトランジットがある。
もうひとつは、私が取ったように、バンコクかシンガポールなどに1泊(場合によってはそのまま空港でトランジット)して行くパターン。
私が仕入れた情報の範囲の限りでは、ロイヤルネパールは欠航、予定変更などが多いとのことで、カトマンズ入りへはタイ航空のほうが確実とのことだった。タイまでの航空会社にもよるが、今回私の成田〜カトマンズ往復航空券のお値段は空港税いれて、105.000円程度。まあまあでしょ。
10:30タイ航空は無事バンコックを飛び立ち一路カトマンズへ約3時間程度の旅。お昼ご飯もおいしゅうございます。と、ヤッパリ食ってばっかり。
でも、ビールは止めときました。
12:30飛行機の席はまんなかだったので、外の景色はあまり見えず、でも時折見える景色もほとんどが厚い雲に覆われて、あっという間にカトマンズ空港へ。
ネパールの首都、国際空港…と思っても、ついてみるとそれは日本の地方空港、決して差別しているわけではありませんが、離島の空港レベルです。しかも、タラップで降りて、いきなりおんぼろのバスに乗せられどこに連れて行かれるかと思ったらぐるっと回って、歩けばほんの10m先のターミナル入り口で停車。
結局そこからターミナルへ歩いていくのでした。機中で読んだ本に書いてあったとおりで苦笑い。
で、入国審査。観光客は観光ビザを取らなければなりません。
あらかじめ用意しておいた写真に、滞在日程によって15USドル〜25USドルを添え書類に記入して入国審査に提出します。
この時はなんとも思わなかったが、このお金がこの国の価値としてはとてつもなく高くそして、この国がこういった観光収入で成り立っているのだと言うことを後で実感しました。
審査官は陽気で明るかったですが、この入国審査に1時間近くを費やし、やっとの思いで荷物をピックアップ。幸い、何の検査もなく通過。
荷物のピックアップ所には、今回の現地コーディネーターのラジェンドラ
タクリさんがニコニコ顔でお出迎え。
彼とは、一度日本で、小川修司さんのご紹介でお会いしていたので、知っている顔に合うとやはりほっとしますね。
外へ出ると、そこには小川さんも迎えに来ていてくれた。
今回のメンバーがこれでそろったわけだ。
今回は、河合と、キャンプマンでバックオフ誌などで有名な小川修司さん、ガイド役にラジェンドラ、そしてビデオを撮影してくれると言う渡辺さんがメンバーである。
小川さんは3年間もXS400で世界中を放浪していたという、強烈な個性の持ち主。
温和なお顔ですが、内側にはなにか強い意思を感じます。はい。
でも、さすが、とても旅なれている感じ。
どうして、小川さんと河合が一緒にネパールに行くことになったかというと、私がネパールに行きたいと当時ヤマハの広報担当だった、加藤さん(現在はYESS
ご担当です)にたずねると、紹介して下さったのが小川さんだったのです。
彼も、ネパールには何度もあしを運んでおり、将来はネパールでのバイクツーリングツアーを計画中とのこと。皆さん期待してくださいね。
さて、話を戻して、トレッキングには入国ビザとは別に「トレッキングパーミット」というこれまたなぜか25USドルを払わなければならないシステムがあり、時間もないのでいきなりそれを取りにいくという。
で、街中に向かって出発したのだが、とにかくすごい。
まず、クラクションは鳴らしっぱなし。鳴らさないと人間も何もどきゃしない。そして、本当に首都?と思いたくなるようななんと道のひどいこと…。ほとんどでこぼこ道です。
しかも、町中ほこりだらけ、ごみだらけ、道端に牛はねっころがってるわ、変な三輪車(これをテンプーと呼び、安いタクシーみたいなもの)はいるわ、もう、ほとんど汚いディズニーランドか、ラーメン博物館に飛び込んだかと言う状態。
あ、もともとフェイクはこちら側ですから、そういう感想を持つのも日本人と言うか私ならではという気もしますが。
そう思っていたら、すれ違えないような狭い道の急坂をぶりぶり登っていったところにイミグレーションオフィスはありました。
でも、吹き出しちゃった。
え。これが国の役所?って感じ。なんか、マレーシアで見た安食堂って感じでしたね。
ま、皆さんもネパールに行けばきっと行く機会があると思いますから楽しみにしておいて下さいな。
ところがそんな印象を持ったのが悪かったのか、「今日はもう受付は終わりだ」と門前払い。まだ、2時半なんですけど。
ラジェンドラが必死に食い下がり、何とか役人の長に面談(懇願?)できるところまでは行ったが、結果は同じ。
ということで、予定はいきなり狂い明日の朝出発は早くも不可能になっちゃった。
気を取りなおして、ラジェンドラのオフィスへ。
またもやクラクションの嵐の中を、今度はすれ違えないどころか入っていけないような狭い道を(もちろんでこぼこで)入っていったと思ったら、
そこがラジェンドラのオフィスだった。もちろん、吹き出した。
レンガ積みの掘建て小屋というかんじで、屋根はブルーシートってか。
乾季だから雨ふんないんだ、なんて自分で勝手に納得してたら、そこは
仮設で、今、新オフィスを建築中なんだって。そうだよね。
でも、中にはパソコンがあったりして、超ミスマッチ。
またまた気を取り直して庭を見ると、そこには1年前に送った、愛車セローちゃんが、ご主人様を長いこと待っていたかのようにそこにおりました。
感激。待たせたね。本当は去年の今ごろ来ているはずだったのにね。
でも、それも先発した小川さんのおかげでその状態になっているのであって、本当はバッテリーがなかったりして、エンジンかけるまでに苦労しちゃったみたいなのでした。
あまりの、カルチャーショックにちょっとなんかやる気がおきなくて、とりあえずホテルへ行くことに。
ま、こういう旅だ。あせりは禁物などと自分に言い聞かせて、ホテルへ。
小川さんは取材で飲んだ酒にあたったみたいで、具合が悪そう。。
そうか、内側に感じる意思は、おなか痛いのを我慢してたのね。
とりあえず、ホテルでシャワーを浴び、荷物を整理。
ライディングウエア、ブーツ、ヘルメットなどを出し、帰りの服装など不要なものを奥へしまいこむ。
ちょっと、そとのタメル地区と呼ばれる外人向けの繁華街をぶらぶらして
お金を1万円両替。
繁華街と言ってもその雰囲気は、やっぱりラーメン博物館を彷彿とさせる。
さて、ためしに水を買ってみると20ルピー。
1ルピーは約2円なので、40円。。。おおっ。コーラ12ルピー。24円。おおおっ。1万円も両替しなくて良かったかなこりゃ。
さて、夜は近くのなぜかタイレストランへ。おいしかったです。
4名しめて1800ルピーだったので3600円。
安いジャンと思ったが、それも帰るころには「高けー!」と思うようになるのだから人間の感覚なんてあやふやです。
感覚といえば、日本に戻ったら日本人の感覚にすぐ戻ったのはいうまでも
なし。
このホームページのためにポジをスキャニングできる、フィルムスキャナー買っちゃった。
下手したら、それってネパールの人の年収に匹敵するぞ。
で、残りの準備は明日して、トレッキング許可証が取れ次第出発することを確認して今日はおやすみなさい。
河合のネパールうんちくその2。
ネパールと、日本との時差は3時間15分。この3時間、たいしたことないと思うのだが、結構きつい。というのも、8:00に晩飯を食べるとすると、日本ではすでに11:15分。ぼちぼち眠くなる。
反対に、ああ良く寝たと思っておきると、まだ5:30。でも、日本ではすでに8:45であるんです。やっと慣れたら、今度は日本で、朝なかなか起きられませんでした。あ、いつものことか。
4月6日
で、そのうんちくのとおり、5時半には目がパッチリ。
しかし、のどが痛い。
なにせ、ヒマラヤのイメージとは程遠く、空はよどみ町にはインド製のおんぼろトラックやおんぼろバス、そしてテンプーが真っ黒な排気ガスを撒き散らしているのです。
いずれにせよ、トレッキングパーミットが取れないと、旅はスタートできないのでゆっくりと朝食。
小川さんも少し調子が良くなってきたようで一安心。
アメリカンブレックファーストの店へ。これは、普通でした。
スクランブルエッグと食パン、コーヒーのメニューです。ウエイターさんが値段を間違えて、得しました。
さて、10:30にラジェンドラのオフィスへ。
バイクにステッカーを貼ったり、出発の準備をしたり。
小川さんは、渡辺さんが使う予定のTY(空冷の古いやつ)のドライブチェーンを換えに。また、ラジェンドラの乗る予定のMTX125も借りてきた。
コックさんは、なべを洗ったり、食材をそろえたり。
少しずつだが準備が進む。そして、伴走のトラックも借りてきた。
あれ、でかいじゃんか。
私はピックアップトラックをイメージしてたのに、2トントラックが来た。
どへー。しかも、トラックを借りると運転手もついてくるらしい。
仕事を与えるためか、はたまた盗まれないためか。
とりあえず、機材を積み込んでいく。
現地までは、MTXとTYも積んでいく予定だ。
なんだかんだと準備は進んで、はや1時。
そして、ついにトレッキングパーミットも届いていよいよ出発の時間がやってきた。
とりあえず出発前に小川さんと二人で記念写真を撮ったりして、
いざスタート。って、もう2時半。
ほこりと雑踏の市街地をのぞのぞと抜けていく。
いや、なかなか抜けていかない。
なにせ、お店でとまっては水を買いこんだり、ガソリンスタンドでとまっては
ガソリンを買いこむ。
挙句の果てに、トラックへいれるオイルからついにはトラックについていく
専属メカニックも乗りこんだ。
もちろん全員トラックのキャビンに乗れるはずもないから、何人かは荷台。ビデオの渡辺さんも荷台に乗りこむが、ほかのネパール人にすっかりなじんでぜんぜん違和感ありません。
そんなこんなで、やっとカトマンズの市街地のはずれにさしかかったのは
もはや夕方。おいおい、今日の目的地まで行けるのかい〜〜。
行けるわけない。今日の目的地は「ドンチェ」というトレッキングの入り口の町だがそりゃ遠すぎるだろ〜〜。
市外を抜けたと思ったら今度は、もういやっと言うほどのワインディング
ロード。しかも狭い。
と思うと、反対からトラックやらバスやらが飛び出してきて危ないこと
この上なし。
最初は伴走のトラックの後ろをついていくが、遅いしけむいしであっという
間に抜かして先に行く事にする。
小川さんはワインディングをアグレッシブに攻めていく。はやいはやい。
さて、道路脇に女性が赤ちゃんを抱えていたので停止。写真を撮影する。
あれ、おっぱい飲ませている。でも、隠そうともしない。
その向こうの丘では、何やら集会が。
追いついてきたトラックに乗っているガイドさんに通訳してもらうとそれは
お葬式だった。
さて、さらに延々と続くワインディング走っていくと大きな川が。
この下流はガンジスに続く川だ。多分。
そして、川の向こうに夕日が。悠久の人類の歴史を感じる。なんちって。
橋のわきの小さなお店で小休止、トラックを待つ。
しかし、どこにいるのかバイクを止めるとすぐに人だかりができる。
少年達はものおじもせず、すぐにバイクに近寄ってはスイッチをいじったりシートを触ったり。悪気はないようだ。
目的には程遠いところで、すでに周囲は日暮れて暗くなってきている。
で、河合うんちく。
赤道に近い地域では、太陽が直角に沈むので太陽が沈んだ後、真っ暗になるのが早い。逆に朝も、明るくなるとあっけなくぽん、と太陽が昇る。
当然、北(南)へ行くほど太陽は斜めに沈むので、沈んだ後の黄昏が長い。一度、フィンランドにいたときは夕日になっても太陽はなかなか沈まず結局真っ暗にはならないまま、また朝日が昇るのを経験した。
さて、少しでも先に進みたかったので、暗い中でも前へ進む。
ふと、暗い中の山肌を見ると、点々と、そして一筋の赤い帯があちらこちらに見える。
山火事だ。
後で聞いたところによると、同時に29箇所で火事が起こっていたそうだ。
空がかすんでいたのもそれが原因ではないかと思えるぐらいだ。
さて、いよいよ暗くなると、そこはもう闇の世界。セローのヘッドライトが
こんなにも明るく感じるのか。さらに、道はいよいよダートへ。
乾季のダートは、そこはもう砂漠かというぐらいのパフパフの道。
前を行く小川さんの後ろは、もう舞い上がったほこりで何も見えない。
しかも、道はごつごつしたこぶし大の岩がごろごろ。パンクしてしまいそうだ。まえが見えないので飛ばす小川さんの横を仕方がなく併走する。
それにしても、小川さんはこの闇と岩の中ものすごく飛ばす。
アグレッシブ。
しばらくいくと、闇の中に薄暗い町が現れる。よく目を凝らすとたくさんの
人々がたむろしている。
突然遮断機が道に下りている。
ちかくのおやじが「ここはとおれない」というようなことを言っている。
しかし、なぜかほかのおばさんが「あけてやるよ」みたいな感じであっさり
遮断機を開けてもらえた。
これも後でわかったことだが、各町の入り口には警察が見張りをしており、遮断機がついている。夜は基本的にはそこをとおることが出来ない。
一種のセキュリティなのだ。
さて、トラックがその遮断機をとおれるかどうかが心配になったので、すぐ
先のこれまた薄暗い商店の前でトラックを待つ。
例によって、すぐに人だかり。暗い中だとちょっと不気味だ。
しばらくすると、ものすごく下手だが英語のしゃべれる若者があらわれる。聞けば、小学校の先生だそうだ。
この若者ものも興味深げに、あれこれたずねてくるのでちょうど良い暇つぶしに彼としゃべったり、商店の中を見せてもらったりする。
その商店主のおばさんも、あるひとつのかめの中からコップに何かを注いでくれた。
ヨーグルトである。それも、多分牛乳ベースではない。
一口飲んで見ると、そう悪くはない味だ。しかし、腹をこわしてはいけないので申し訳ないが全部飲むことは出来なかった。
その商店の裏にある、居住空間も見せてくれると言う。
炊事場は、土間。よくみないと炊事場だと言うことに気がつかない。
寝室は意外に広くきれい。
しかし、いずれも電気がとおっていないので真の闇である。
おばさんは、各部屋ひとつずつマッチをすって中を見せてくれた。
さて、待つこと30分以上、そう、トラックはダートになると極端にペースが
落ちる。ようやくトラックが来た。
もう、目的地は無理だと言うことで、この町のはずれでキャンプすることに
なる。
その先生が、学校でキャンプすればと言っていたのでそこを目指す。
しかし、ついた学校は部落の真中にあり、あっという間に人だかり。
ちょっと雰囲気怪しいので、小川さんがそこらへんを探しに行く。
しかし、ほとんど真の闇に近いのになぜか人はいっぱい集まってくる。
まさかこの人達見えてるんじゃないかなと、真剣に思った。
さて、道からほんの少し外れたところに大きな門つきの家を発見した小川さんと相談のうえ、そこが今日の宿泊地に決定。
またもや遅れたトラックを待ち、ようやく設営に入る。
トラックを待つ間、私だけが真っ暗な道でトラックを待っていたが、畑にいくつかの蛍が光を放っていた。周りが漆黒の闇だけになぜかとても明るく感じる。
宿泊地は聞けば、そこはその村の元村長さんのお宅。
今は、ネパールの総議会選挙の最中で、カトマンズに出かけてしまっているようだ。やはり薄暗いが、電気が来ている。
ようく見ると、ベランダと言うか縁側というか、土間におじいさんが寝ている。
ラジェンドラは、コックに夕食を命じると、ビールを取り出して飲み始めた。
みんなは、今日は屋根があるのでそこでテントも張らず野宿だと言う。
私は、この人だかりの中で着替えたり、寝たりする勇気がなかったのでテントを張る。
夕食をコックが作り始めるが、それをまつあいだ、軒先を借りた家の奥さんと子供達とおはなし。聞けば5人兄弟で一番上のお姉さんは勉強中。
ビデオの渡辺さんは、実は邦楽に詳しく、この旅も尺八を持ってきていたが、吹いてあげるとみんな大喜び。こちらの子供もすぐに打ち解けた。
私は2番目のお兄ちゃんとうまが合ったようだ。
そこの叔父さん?にカモシカの情報を聞くと「この辺にはいないが高い山の上ならいるはず」と言い、我々がランタンヒマールを目指していると言うと「そこには間違いなくいるだろう」との期待させるお答えが。
ちょっと希望が見えてきた。
夕食は、ネパールでの一番のポピュラーな食事「ダルバート」だ。
ダルとは豆、バートはごはんと言う意味で、ダルで作ったスープをお米に
かけ、ちょっと辛く味付けされたいもを中心としたおかず(ダルガリ、という)も一緒に混ぜ食べる。
本来は、右手で食べるらしい。ラジェンドラは手で食べている。
さすがに外人どもはそうはいかないのでスプーンで。
しかし、辛党の私には「これはグー」(死語)。うまい。
ネパールではどこにいってもこれが出てくるが、これはいけます。
酒も飲み、夕食も食べて今夜は就寝。
結局走れた距離は80km程度だった。
明日に期待して就寝。
感想をメールにてお寄せください。お寄せくださった中から毎月抽選で1名に、河合がネパールで得てきたおみやげを差し上げます。何かは次回以降をお楽しみに。 (終了いたしました)
serow@trialpromotion.co.jp
writer 河合紀之 update 99/4/1 |