4月8日
さて、昨日「こんなに楽していいのかな」なんて思ったのがいけなかったのかここからトラブルの始まり始まりとなる。
今日のうちに、いったんカトマンズまで帰り仕切りなおし。明日は、カトマンズから200km離れたポカラまで移動の予定を立てた。ラジェンドラは、小川さんが2人乗りで連れて行く。帰り道の途中で撮影ポイントをいくつか撮影しながら帰る。
トラックは、先に行っている。昼にドンチェで意外と時間を食ったので、もしかするとカトマンズにはトラックのほうが先についてしまうだろうか?
まずは、ドンチェの入り口(この場合は出口だが)での軍隊の検問で、トレッキングに行く人は650ルピー払えと言う。確かに良く見ると、そういう看板が立っている。昨日入った時には払っていないのも事実ではある。
しかし、我々は出てくるほうなのに。
ラジェンドラは「じゃ、2人分だけ払いましょう」なんて、日本人は3人いるのにいいかげんなことを言っている。渡辺さんは現地人に見えると言うこか?
そこから、あまりにほこりがひどいので、ひとりひとり1km程度間隔を開けていくことにする。
さて、元来た道をまたまた延々戻りようやく、トレッキングパーミットを最初に提出した場所を越えた。小川さんが先行、私がすぐ追いつくパターンだったが、そこを越え最後を走っている渡辺さんを待つが、待てど暮らせどこない。
あまりにこないので、我々日本人はまた、軍隊のチェックを戻るのは不可能なのでラジェンドラに見に行ってもらうことにした。
またまた、しばらくしてやっと遠くにラジェンドラが見える。ライトを点滅しているようだ。
う〜ん。もしかして転んだかな?トラックとぶつかったかな?等と考えながら、とりあえず遮断機のところまで。すると、「パンク」だ。どうやら自分で修理を試みているらしい。ただし、空気入れが無いらしい。
小川さんと前後策を協議する。
しかし、失敗だったのは今日はカトマンズに戻るだけ、どうせトラックにすぐ追いつくだろうとほとんどの荷物をトラックに積んでしまったことだった。
もちろんパンク修理道具も。
しかも、昼にドンチェで時間がかかりすぎてしまい、今から追いかけてもかなり追いつかないのではないかということになった。
とりあえず、私は一番近い村までラジェンドラと二人乗りで降りて、空気入れを借りることに。小川さんは、もう一度ボーダーを越えて渡辺さんのところへ。
パンクしていても構わないので、なるべく後輪に負荷をかけないように降りてきてください、と伝えて、とりあえず出発。
幸い5kmほど行ったところに部落があり、ラジェンドラに聞いてもらうと空気入れを出してきてくれた。藻っていっちゃうんじゃないかと心配顔なので、ラジェンドラに残ってもらって私だけ引き返す。
半分ぐらい引き返したところで、今度は小川さんが降りてきた。
話を聞くと、パンク修理と言っても、テントの補修用の布でやっていて、ぜんぜんだめだとのこと。パンク修理道具一式が必要だという。渡辺さんには、とにかく少しでも走ってきてくれということを伝えて先に降りてきたという。
そこで、今度は私が渡辺さんのところへ。もう一度ボーダーを越え、しばらく行くと渡辺さんが。
「とても走れたものじゃありません」とお手上げ状態。
そこで、ふとトライアル時代の「草を詰めれば走れる」というのを思い出した。集まってきた村民に「とにかくわらを」といって、タイヤをはずし詰められるだけわらを詰めた。渡辺さんにセローを渡し、私がMTXで出発。
「お、結構いけるじゃん」と思いながら、先を急ぐ。
しかし、甘かった。すぐにタイヤはまたビードが外れうまく走れない。何故ならわらは、すぐに熱で粉のようになってしまったからでした。
とりあえず、思いっきりタンクの上に座り、何とかごまかしながら下の村まで降りていく。
村では、ラジェンドラと小川さんが何とか中古のチューブを探してくれていた。
早速私がパンク修理。不揃いの車載工具だけで、今までやったチューブ交換の中でも最高の速さと出来だった。
が、中古のチューブは空気を入れるとまたもやパンク。もう一度、パンク修理を試みるがこれもまたパンク。すでにチューブが古すぎるようだ。
う〜ん、困った。すでに時間は5時を過ぎている。
知恵を絞っていると、そこに一台のトラックが。
「こいつに積んじゃうしかない!」
そう思った瞬間、そのトラックを止めていた。何せくる時も、うちがチャーターしたトラックに次から次へと人が乗り込んでくる。良く言えば相互扶助の精神、わるく言えばちゃっかりである。
トラックの運転手に頼むと、あっさりOK。腹が減ったと飯を食べようとしていた渡辺さんをトラックに押し込む。渡辺さん、訳も分からずとりあえず乗り込む。
タフだ。ちょっと一安心。
とりあえず、バイクのほうが早いだろうと言うことで、我々だけ飯を食ってから出発。
案の定、と言ってもだいぶ走ってすでに周囲は暗くなってしまったがトラックに追いつく。追いついた時点で、ずっとバイクの後ろでグロッキー気味(といっても、パンク修理の時に飲んでいたビールのせいだろ!)だった、ラジェンドラをトラックへ。
バイクの2台は先行してパンク修理が出来るところを探そうということになる。
ところが、トラックの前に出たとたんにすごい風。突風である。すでに周囲は闇、ライトで照らされる部分は砂嵐で何も見えず、それでも小川さんはアグレッシブに前に突き進む。
前方には怪しい稲光が…。
ようやく少し大きな町、トリスリバザールへの峠を越えそうになったと思ったら強烈なヒョウが振ってきた。痛い。
しかもそのヒョウはすぐに大雨に。雷は頭の真上で鳴っている。
「カメラとフィルムがやばい!」必死にカメラをジャケットの中に入れ、ようやく、トリスリバザールへ。
目に飛び込んできたレストランへとりあえず飛び込む。そこからものすごい雨になってきた。まさに春を呼ぶ嵐である。「トラックは後からちゃんとくるかな」とやな予感がしながら、とりあえずコーラを飲んで状況を待つ。
雨はいっこうにやむ気配は無い。トラックもやな予感どおりこない。待てども暮らせどもこないので、とりあえずダルバートを頼む。これ以上、なにもせずにそのレストランに居にくかったからだ。
店の主人は、家は9時半閉店だから泊まっていかないかと言う。
しかし、小川さんは固辞。
私もこれ以上予定がずれるのがいやだったのでなんとしてもカトマンズまで行きたかったのだが、小川さんは別の理由が。
ネパールではほとんどのこういうレストランが2階に宿泊施設を持っているが(これをゲストハウスと言う。値段も夕食の値段とほとんど変わらないらしい)ここはもう、のみダニしらみの温床でとても寝られたものではないというのだ。
なにせ、私スペイン暮らしでノミにやられ、それがきっかけでアトピーに苦しんだ経緯を持つ人間だけに、それを聞いた瞬間にとてもいやな予感がした。
もちろん、いまだこない仲間を置いて寝ていられないと言うのもありましたが。私は、正直にラジェンドラと渡辺さんに脚を引っ張られているように感じ、おいてっちゃおうかとも思いました。
しかし、カッパからなにからすべてトラックの中。そのトラックも荷物を濡らしてしまっているのでは心配。
で、いやな予感どおり9時半になっても10時になってもトラックはこない。
お店の主人もついに店を閉めるといい、泊まっていけとしつこく誘うが私と小川さんは店の外に出た。
が、それから10分ぐらい経って、明るいライトが道から照らされている。
「来た!」と思ったのだがそれは渡辺さんがビデオ用のバッテリーライトで夜道を照らしながら歩いてきたのだった。
相変わらずタフだ。この人ならどこへいっても生きていけると思った。
話を聞くと、やはりトラックが雨でぬかるんだ道にスリップし立ち往生していると言う。とりあえず、後続にトラックがもう一台来たのでなんとかなるだろうとのことだったが、助けを求めに歩いてきたのだ。
しかし、ライト以外は暗闇のなか、大雨の中を2km近く歩いてきたらしい。
で、ラジェンドラは酔っ払ったのかそのふりをしているだけなのか、トラックの中でずっと寝てたと渡辺さんが憤慨している。
とりあえず、落ち着かせると、それからしばらくしてなんとかトラックが山から下りてきた。
雨はいっこうにやむ気配は無い。
ようやく4人がそろって善後策を協議。私は強行にカトマンズへ帰る案を主張したが、ラジェンドラは軍隊が道を閉鎖してるだの何だのとここへとまりたいようだ。
結局、固辞したゲストハウスに泊まる羽目に。ノミにやられたことのある私は、ジャケットからパンツ、ブーツまでフル装備でたまたま渡辺さんが持っていたマットまで引いて寝た。しかし、だめなものはだめでした。
ここで河合うんちくだが、アレルギーと言うのは、実際のアレルギーの元になるものに触れなくても、なるんじゃないかなーと言う気持ちだけで起きてしまう。これ本当。本で読むとそれは科学的にも実証されていて、気持ちがネガティブに入ったりストレスがたまったりするとそれだけで「アレルゲン」と言う物質が体内から分泌されてしまうらしい。
余談だが、私は最初「のみ」にやられ、その対処療法として塗り薬のステロイド剤に頼り過ぎた結果アトピーになった。この病気は厄介ですね。いまだに克服しきれていないのですが、いろいろ経験はしてきた。現在は小康状態である。
いや、このネパールがきっかけで再発している。もし、苦しんでいる方がいらっしゃったら是非相談してください。一緒に、経験を話し対応策を考えていきましょう。
さて、この時の私がまさにその状況。あっという間に全身蕁麻疹。こうなるともうだめだ。あらゆる刺激が、いや、刺激とも言えない程度のものであっという間に皮膚は張れあがってしまう。
結局一睡も出来ないまま朝を迎えた。おかげで、体調は絶不調。アトピー全開である。
ここから、ツーリングは体調不良との戦いになってしまった。
眠れぬまま聞こえた強い雨音と雷も、朝にはようやくやんでいた。
例によって6時になると同時に村はいっせいに目覚める。カトマンズ行きのバスがクラクションをけたたましく鳴らし出発していく。店はいっせいに開き、独特なほうきで一生懸命床をはいている。
ふと、日の出前の空に目をやると、
見えた。
雪を抱いたランタンヒマール、ゴサインクンドの山並みである。
前夜の雨で、空気中のかすみが洗い流されたようだ。体調は残念ながら不調。体中か痒いし、のどは強烈に痛い。息を吸い込むと気管支がひゅーと鳴ってむせこんでしまう。
まだ、我々ご一行は誰も起きてこない。私は、一人レストラン前に腰を下ろし、山並みを眺めながら考えた。
もう、焦ってもしょうがない。ヒマラヤがこの先消えて無くなるわけでもないし今回はネパールそのものを知るという旅行でいいじゃないか。かなり様子も分かったし、もう一回みんなでくればいい。
ようやく起きてきたみんな。ラジェンドラはさっそくパンク修理へ。今度は、新品のチューブと交換して直った。
さて、これからの予定をみんなで相談する。
ラジェンドラはこの町からショートカットしてカトマンズ〜ポカラのメイン国道へ行くのがよいと行っている。
私は、もはやラジェンドラのガイドが信じられず、カトマンズまで戻った方が確実なんじゃないの、また何かハプニングがあるんじゃないの、なんて思っている。でも、もう今日の朝で踏ん切りはついたので、それはそれでいいか。
結局そのショートカットの道を行くことに。で、ものの5分も走らないうちに、停車。ほれみろやっぱり。
なぜ停車したかというとショートカットの道は最後に軍隊の敷地を通るので許可証を警察に発行してもらわなければならないと言う。トレッキングパーミットのように何日もかかるんじゃないのと思った。
が、1時間はかからなかった。しかし、警察の人間はみんな中庭でバドミントンをしていて「なんだよ、うるさいなぁ」という感じ。我々が強く言ったので仕方なくやっているという感じ見え見え。ま、もらっちゃえばこっちのもんだろう。
で、途中道を間違えながらも何とかその道を。
そうすると、またもや20分も走らないうちにストップ。今度は川が昨夜の雨で増水していて渡れないと言う。ほれみろやっぱり。
と思うが、今度はそこに人専用の吊り橋が。はい、躊躇無くそこへ行く。
反対側は、トライアルセクションのような岩盤の下りでした。
下ったところに、川が渡れなくて途方に暮れているバイクのおじさんがいたので「貸してみな」と私がその岩盤をあがってあげました。えらく感謝された。なんかいいことした気持ち。もちろんその間中、周囲は人人人。
このショートカットは天候も良かったけど、気持ちの良い大きな川沿いに下る道でした。
でも、こんな狭いでこぼこ道をバスやトラックが行くのにはびっくり。
途中川には、かご式の渡河用の人力ロープウエイがあったり、のどかでした。で、1時間も走ると出ました、軍隊の訓練場敷地内。入り口には警備が。以外に簡単に入れてくれた。
でもこれは地図だけ見ていては絶対に気がつかないこと。ガイドがいなかったらここまで来て引き返すことになるところだ。
さて、入っていきなり、今度はエスケープなしの川渡り。これまた増水しているが、とりあえず私が突入。クランクケースがつかるぐらいの深さでわたることができた。
河合うんちく。
川を横断するときは(そんなときあるのか、というつっこみはおいといて)流れに対してやや下り方向にわたると、水の抵抗も少なく水しぶきもあがりにくくわたりやすい。
水の抵抗って以外に大きいんですよ。私、昔、台風の時にトライアルの練習していて増水した川を渡ろうとして思いっきり流されたことあります。死ぬかと思った。実際そこで流されて死んだ人いた所だったし。
なにせ、バイクはタイヤに空気がはいっているのであまり深いところはマシンが浮いてしまうのでした。
で、話を戻して何度か川渡りをして無事敷地内を通過。やっとメインの国道に出た。
と思ったら、小川さんのマシンがパンク。またもや休憩モード。ふー。
タフネス渡辺氏は、待っている間、裏の川でとったという魚を焼いて喰っている。川魚って当たるんだぞ、と思いつつも渡辺さんなら大丈夫かなとマジで思った。
街道沿いのパンク修理屋さんを見つけてパンク修理。そう、相変わらずサポートのトラックとは合流できてないのです。カトマンズへの道を選んでないから当たり前か。
で、ラジェンドラに「おい、どうすんだよ」と言うと、なんとポカラまでサポート隊を再遠征させると言う。もう、いらないのになぁ、と思っていたがあっちはそれしないと仕事にならないもんね。
パンク修理は昔懐かしい、と言っても私もあまり見たこと無いホットパッチというやりかた。知ってる?焼きごてで溶かしつけるのよ。で、今度はさすがプロ、一発で修理できました。
さて、ここからは延々とオンロードツーリングの始まり始まり。とにかく、ここは熱帯か(そう遠くは無いが)と言うくらいの暑い気候。
最初は我慢してオフロードウエアなぞ着ていましたが、途中からズボンに変更しました。
だって、暑いんだもん。なにせ、200kmの単調な道ですから結構退屈。別に山が見えるわけでもないし。
で、眠くなる。
何せ疲れてるし、体調悪いし。行きかうバスやトラックは無理な追い越し、排気ガスはたまらないし(文句ばっかりだな)これは結構苦痛でした。
で、いいかげんいやになってきたところで昼飯。ダルバート。おいしい。
そこに、観光客目当てのなんとかっちゅう(すまん忘れた)小さな竪琴を弓で弾くような楽器で歌う貧乏くさそうな人が。あまりにまとわりつくので、渡辺さんが「よ〜し、それならちゃんと払ってやるから歌ってみろ」と開き直ると、結構音程も合ってるし聞けました。それを聞きながらのダルバートはまたうまかった。おかわりした。
でも、終わってからのお金のせびりがすごかったけど。
で、再びオンロードツーリング。
各自マイペースにして単独行動にし、だんだん往来も少なくなってきてようやく快適なツーリングに。で、またまたいやになるぐらい走ると「ポカラ」の看板が。
ひえ〜〜、やっと着いた。
私は、昼飯ぐらいからとにかく「シャワー、シャワー」と寝言のように言っており、ラジェンドラの知り合いのホテルでシャワーを借りる。ふ〜〜。
で、出て見るとラジェンドラはすでにビール飲んでました。てめー。
ポカラでは夜飯の買い出しでチキンを。市内をうろついて今日のキャンプ地「ダラーラ」へ。行く途中で雨に振られ商店の軒先で雨宿り。最初は遠慮して立ってたけど、だんだん中に入っていってしまいには椅子に座ってた。
何も買わなかった。やな客。いや客じゃないな。
でも、ポカラ、といいダラーラ、といいなんかネパールを象徴しているネーミングと思いました、はい。
そんなとき、雨上がりの雲の隙間から、見えました。エベレスト。
そんなわけない。エベレストのように見えたのは「マチャプチャレ」という山でした。ようやく、私のイメージしていたヒマラヤが登場してきたのです。
その左側にはアンナプルナ山群が。
ポカラから、約1時間ぐらいでダラーラのキャンプ地へ。でも、ここってもうなんか開発されたキャンプ地で、にわかトレッカーはここに連れてくれば満足するだろう、って感じの場所。
そう言う意味では私のイメージとはちょっと違いますね。
でも、キャンプ地へは石の階段を上がり、ちょっとしたトレッキングをしなければなりません。はい、ここでも人だかりの山でした。
さて、暗くなる前に設営を。遠くには左からダウラギリ、アンナプルナ、マチャプチャレと見えます。
あした見えるかどうかの保証が無いので、今のうちに写真撮っといたら、ということでいくつか写真とVTRを。
夜は、ようやくキャンプ場で追いついたサポート隊のコックにより、チキンのバーベキュー。なかなか出来ないので、近くの子供達が歌を歌ってくれたりします。
それは良かった。でも、子供達ちょっと観光ずれしてて、日本語で「そうですねぇ」とか「こんにちは」とか言ってた。
めしはいつ食べてもうまかったです。今回は食道楽ツアーか。
さて、立っていられなくなって就寝。
翌朝は暗いうちから目を覚ましたが、案の定と言うか雲に隠れて山は見えない。暗いうちにうんこを済ませ、時々チラッと顔を出す山頂に合わせて写真撮る。
結局朝食合わせて3時間ぐらい粘るも、なかなか良い写真は撮れませんでした。
その後、キャンプ場までのトレッキング道をバイクで走って撮影したり。
で、もう日もだいぶ上がってしまったので撤退することに。
ラジェンドラがにやにやしながら「こっちの道からいきましょう」なんて指差すのでそちらから。
それは、サランコットというポカラからの日帰りツアーで山の景色が見えるところを経由して帰ることになったのですが、皆さんはめられました。
とんでもない階段の続く山道じゃありませんか。降りて行けたのは私だけです。そりゃそうじゃ。
後の面々は途中まではヒーコラついてきましたが、途中からエスケープしてました。
でも、その道もひどかったみたい。
でも、私はこの道をすいすい下って(自慢か、おい)ラジェンドラもちょっと私を見なおしたみたい。聞けば、昔、風間さんと根津さんが来てここをとおってたらしいです。
さて、そんなこんなでポカラまで戻ると、小川さんはポカラ市内の風景が撮りたいと。
ラジェンドラは「ここから先は、バイクは勘弁してぇ〜〜」と飛行機で逃げ帰りました。
帰りの道中は、もう、全開走行爆発。
私は、発熱でほとんど夢遊病者状態で、ハングオン、トライアルタイヤずりずり走行を楽しみました。いろんなこと考えながら。
自分のイメージしていたさわやかな高山のトレッキングにカモシカがぴょンぴょンは無かったけど、団体旅行では味わえない本当のネパールを知ることが出来たような気がします。
まあ、そう言う意味ではおもしろかったし、来て良かったな。
そんなことを考えながら、痛くなったお尻と戦いながら、意識朦朧となりながらカトマンズへの道をひた走りました。とにかく全開で走って、人より早く休憩地点へ着き、寝て待っていたい、そんな感じ。
最後にこの峠を越えればカトマンズというところで、山間に沈む夕日に涙し(うそ)記念に写真を撮りました。
で、ようやくカトマンズにたどり着き、今度は結構良いホテルを頼んでとりあえずシャワーシャワー。足はむくんではれあがり、体中脱力感で後はバタンキューです(死語)。晩飯はそばの中華へ。小川さんは一足早く、明日カトマンズを立ってマレーシアへ。とってもお世話になりました。
ネパールの将来のこと(環境問題、貧困の問題)や将来実現したいセローでのツーリングツアーのことなどを話しました。
で、翌日我々(私と渡辺さん)はカトマンズ市内観光へ。
タクシーにいくらと聞くと最初は150ルピー。じゃいらないと言うと100ルピー。メーターで行けというと、しぶしぶ乗せて、遠回りした挙句に65ルピーでした。で、市内を歩いて観光。
とにかく、この喧騒とまっすぐ立っていない建物には圧倒されてしまいます。でも、来る前よりは妙になじんでしまいました。
しかも、田舎ばかり走っていたのでカトマンズが猛烈都会に見えてしまいます。人間の感覚なんてそんなもんね。
最後の夜は、なぜか渡辺さんの希望によりインド料理。
その後、ラジェンドラが自分の家(多分。冗談半分で愛人宅とか言ってたけど真相はわかりません)に招待してくれて、日本から送られてきた風間さんのネパール訪問番組や、某氏とともに行ったムクチナートバイクチャレンジ等のVTRを見せてくれました。
そしたら、ラジェンドラは酔っ払って寝てしまい、「車貸してやるから勝手に帰れ」ときたもんだ。どこだかわからんっちゅうの。
で、慣れないランクルで家から出るのにエンストしながら、あまりに重たいハンドルに曲がりきれなくなりながら市内を適当にぐるぐるしていると、なんか昼間見た景色のところに出たのでようやく帰ることが出来ました。
最後に、チベット式に首に白い布をかけてもらいカトマンズの空港をあとに。
のはずが、なかなか出られませんでしたね。
その挙句、タイで一泊なのですがトランジットで出した荷物、きれーに人のもの持ってきちゃいました。夜はそれをもう一度空港へ行って本来の自分のものに変えてもらい(間違えて持ってきちゃった人すみません)、よ〜く冷えたビールで晩飯。
翌日はなんと6:00発の飛行機だったのでほとんど寝ないまま空港へ。
14:00ごろ成田に着くと、ネパールとは違って肌寒い天気で、なんだかなぁと思いながら荷物はさっさと宅急便。電車で帰宅したのでした。
その後、日本では気管支炎と肺炎を併発し、一週間はダウンしてましたね。
アトピーはいまだに完治せずです。ああ。
最後に、オンロードからオフロード、トレッキングまでこれ一台で何でもこなすセローちゃんに感謝感謝。
また、ご協力いただいたヤマハ発動機株式会社様、RSタイチ浜松店様に感謝感謝。
今度は、ムクチナートと言うラジェンドラの生まれ故郷のチベットにちかい村とそこから行けるアンナプルナ越え「トロンパス」と呼ばれる峠へチャレンジしたいです。
トロンパスは標高5600mでここをバイクで行けば、バイクの標高最高記録を打ちたてられるらしい。
ラジェンドラは「河合さんならだいじょうぶでぇ〜す」って言ってたし。。。。
もし、皆さんの中でネパールツーリングをお考えの方がいらっしゃいましたら、私か小川さんに相談してくださいね。
この珍道中を楽しめる人ならきっとおもしろい旅になると思います。そりゃそうだ。